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その人が惜しみなくそそいでくれる
やさしい甘さや誠実な態度にすっかり浮かれていたのだろう。
内緒ごとなはずが、とある御仁にはしっかと把握されてもいて、
手綱取りも兼ねてか見守られているようでもあり、
そういった環境だということに甘えて うっかり忘れていたようだ。
いつかは真摯に向き合わねばならない、
重くて辛いことを抱えた恋なのだということ。
夜のヨコハマを騒がせていた勢力だってのになかなか腰を上げぬまま、
その悪行が大きに盛り上がったところで
我慢しきれず軍警が動いたのと足並み揃えた、
裏社会の覇者ポートマフィア…だったという、どこか らしからぬ経緯だったのは、
やはりやはり ひとえに首領である森の意向によるものだったそうで。
人知れず暗殺なんてな、裏社会で言う“穏便な形”に持ってこうというのでは、
こんな事態だったという総てまでもがあっさり埋もれてしまって意味がない。
広く世間へも表沙汰になる級で響くほどの形にはしなければ、
恩讐も蔑ろにはしないマフィアとしての示しがつかないし、
ガサ入れに漁夫の利を得ようと構えていた軍警上層部や、
この商社を橋頭保としたかったらしい 半島だか大陸だかの東亜系マフィアの元締めに、
残念でしたという意趣返し、しっかり知らしめたいという意図あっての展開だったようで。
「太宰や名探偵辺りが見抜いちまうところも織り込み済みだったんだろうな。」
だからこその、あの“見え透いた盗聴器”の混入でもあったのだろうと、中也はそうと見たらしく。
そんなこんなという様々な事情がすべて幕を下ろしたその一方で、
「ボクは中也さんが思うような、
探偵社員として“正義”を守ろうと躍起になってた いい子じゃありません。」
「?」
自力の治癒にて塞がった傷を一応は与謝野に診てもらってから、
太宰らと別れたあと、此方は中也のセーフハウスに帰りつき。
血みどろになった跡という痛々しい恰好を整えるのも兼ねて
風呂を浴びたそのまま “来い来い”と手招きされ、リビングで髪を乾かされていた虎の子くん。
指通りのいいつややかな髪なのへ我がことのように口許ほころばせていた兄人が
唐突な敦の声へおやと表情を弾かれたが、
相変わらず言葉が足りぬ少年が 何を差して語ろうとしているかは何となく察しもつく。
“あれ、だな。”
あの支社長と中也との対峙の場面では、
その身の確保という目的もあってのこと、
今回は闇雲にその身を挺して人を庇ったという順番じゃあない。
とはいえ、悪党と判ってた相手へ無防備に背中を向けてはいたわけで。
状況から言って、どっちが助けに来たかも判っていように、
それでも敦へ銃を向けて撃ったような奴で。
一般人ならそういう流れにはならなかっただろうなというのは、
落ち着いて考えれば理解も出来たし、
中也という組織の練達と いかにも新米社員風の自分を天秤にかけたなら、
中也の方へ追従並べて擦り寄った方が生き残れるのではと算盤を弾いたのも頷ける。
そういったもろもろがやっとのこと把握できたらしいが、
その“油断”を国木田からちょっとだけ叱られた少年は、
そんなことはどうでもいいという顔をして、中也へ先の言いようを差し向けた。
「正直な話、あの支社長さんの命を庇おうなんて思ってなかった。
ただ、中也さんにこれ以上何かを背負ってほしくなかった。」
「…敦?」
ボクは欲深なんです。中也さんや芥川以上に。
ちっとも真っ当じゃあない。
「これが生き方なんだって。
憎くもない面識もないよな人を殺めること、
苦痛でも何でもないんだっていつだったか言ってましたよね、最初に逢ったころだったかな。
でも、それでも良いことか悪いことかは判ってて、
少なくとも人を殺めるのが楽しくってしょうがないっていう人じゃあないのだから。
だったらって…。」
その性根までもが邪悪な人ではない。
マフィアという勝ち負けをあがなうような、殺戮と恩讐の組織に居るがため、
生きてゆく手段、存在証明が命のやり取りだという極端な人たちなのであり。
法の及ばぬ裏社会での生存競争の中、
裏切りや強奪などの最たる行為であろう
武装した上での抗争や粛清、代理戦争などへも手を染める彼らは、
善悪のボーダーも多少は歪曲しており。
そうでなければ正気を保てないからという者もあろう、
そうやって背を伸ばし踏ん張っていなければ始まらぬ、
弱者のままでは自分も自分の大切な弱いものを守れないからという
やや独善限定な格好の覇気を持つ者も中には居よう。
人を殺すことへ特化した、侍とか軍人みたいなものだと、
“…中也さんもそういう人だと思ってはいけませんか?”
だったら、守られての負担になるのは嫌だと思ったし。
そうなるくらいなら、中也さんがその拳を振り下ろす前に
全部からげて解決させればいいのだと思った。
そんな浅ましさから動いてた証拠に、
あの支社長さんとやら、結局どんな顔だったかも覚えてはいないのだ。
『人は欲張らなければ頭も目も働かないよ?』
太宰はそうと言って自分を責めてはいけないと言ってくれたけど。
『キミや国木田くんが選ぼうとする道は、きっと一番過酷な方向だ。』
人がやることにはまだまだ矛盾が付きまとう。
だって機械じゃあないのだもの、
どれほど理屈や道理が判っていたって、
感情がどうしても収まらず憤怒からの非道を働くことも多々あろう。
正義を貫こうとしていたはずが、気が付けば殺戮に手を染めていた人は後を絶たない。
極端な独裁政治に傾いたり、互いを疑い合って内紛や内ゲバで崩壊した思想集団は数知れない。
また、そういうところを利用して悪辣な仕立てを構える人非人も絶えなかろう。
そういう実例に打ちのめされても、
自分へ逃げることを許さない、高潔さを曲げないなんて、そりゃあ辛い茨の道だ。
不器用な人だなと思うが、同じくらい強い人だなとも思うがねと、
慰めにしては眩しそうに目許を細めていた太宰ではあったが…。
「…やっぱりいい子だよ、お前は。」
「中也さん。」
そんなじれったそうな顔すんな。今回ばかりは言いたいことはちゃんと伝わってるよと。
紫と琥珀がやや潤んだ虎の子の瞳を、青空のような双眸がやさしく見やる。
「……。」
「………。」
何とも云わぬまま、静かな目線だけを向けておれば、
呼ばれていると判ってか、懐の中から顔を上げ、おずおずと見やってくる。
こてんと肩口へ頭を倒し、
甘えるような所作までできるようになったなんて、当初に比べれば途轍もない進歩だ。
ああやっとここまでを運べるようになったなぁなんて
目許を細めて悦に入っておれば。
そんな心持ちまでお見通しか、
やや拗ねたように斜に構えた見上げ方をしてきた愛し子は、
「ボクのこと、舐めないでいてくださいね。」
先程までとはやや違った物言いをする。
何をどう開き直ったやら、めそめそされるよりはいいかとおどけたように括目すれば、
「小さいころから何度となく殺されそうになって。
それでも負けるものかって這いずってでも生きてきた、
命根性の汚い奴なんですからね。」
その果てに此処にこうしているのだと、
嫋やかなお坊ちゃまとは違うのだとでも言いたいか。
だから、過保護に庇うなと持ってゆきたいらしかったが、
「そうさな。
そうやって正義の組織に入ったくせして、マフィアの狗に惚れちまうよなお馬鹿さんだよな。」
「う……。///////////」
低められたいいお声だったのへ赤らみつつも、
あまりに即妙な言い分へ たちまち “うっ”と言葉に詰まったところへ、
いつまでたっても捨身になんの改めねぇしよ。
うう……。///////////
何と言っても今宵もやらかした身だけに、言い逃れ出来ない言われよう。
どんどんと身をすくませ、こっちの懐へ身を反転させて顔を伏せてしまう虎の子へ、
薄い背中をポンポンと手のひらで叩いてやりつつ
「まあ、お馬鹿だってところは俺も人のこたぁ言えねぇが。」
やはり甘やかしてしまうマフィアの幹部様で。
視線の位置は間違いなく相手が上からなのに、
どうしてか下からの上目遣いにしか見えない窺われようなのへ、
にんまりと笑ってやれば、
ごそもそと窮屈そうに身を縮め、こちらの肩口に頬ずりをしてくる甘えよう。
舐めるなと啖呵切ったすぐ後にこれだものという苦笑を噛み殺し、
猫のそれのよに丸くなった背を いつまでも愛しげに撫でてやる幹部様だった。
おまけ<<
「与謝野さんが言ってました。」
「あん?」
「世の中、いい男ほど馬鹿野郎なんだよって。」
「ほほぉ。」
「どうでもいい奴は自分だけは助かろうと浅知恵回すのに、
いい男ほど自分の背に何でもかんでも負ってみたり、
自分が損なわれりゃあいいよに話を勝手に進めたり。
そういう莫迦ばっかりだから
いい女は置いてかれちゃあ溜息つくしかないんだって。」
「じゃあ俺はいい男なのか?」
「はい。いい女を困らせる、とんでもない いい男です。」
でもってボクはいい女じゃアないから、そうならないよう全力で阻止します。
……それは頼もしいなぁ。
〜Fine〜 18.04.28.〜05.11
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*第一回(でもないか)
マフィア vs 探偵社 新旧双黒タイマン合戦の巻でした。
森さんもそういつもいつも目を瞑ってはないというか、
こういう状況にだってなり得るよ?大丈夫かい?と、
余計なお世話の予行演習を構えてくださったらしいです。
あわよくば太宰さんには戻ってほしいし、
中也さんには是非とも虎くんを引っこ抜いて来てほしいのかもです。
なんか、何が何でも最適解という人にしたくないような、
でもでも織田作さんに向けた仕打ちはやはり許せるものじゃあないからねぇ…。
扱いが難しい人です、はい。

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